2018桜巡り~、小田原で「霊宝丹」は「透頂香」で「外郎」!? あ『ういろう』デース♪

昨年より、利用させてもらってマス。通販やネットでは買えないの知ってました? というか、お菓子ではなくお薬なんですよぉ~「外郎」と書きます。またの名を「透頂香(トウチンコウ」とも言いマス、そうデス『ういろう』デース(^_-)-☆

本店だけの限定販売は二箱マデ。材料が大量には入らないのでという事デス。ちなみに駅前店では購入出来ませんゼイ、ここまで来て下サーイ♪

はい、こちらが寛永年間創業400年以上を誇り、登録有形文化財として登録されている建造物で小西薬品が管理するミニ博物館でもあるが、ココでは昔ながらの製法で、薬剤を手作業で磨り潰して...って、あ、ここではない...あ~、アソコか!!

全国にチェーン店展開するの老舗「メガネスーパー」の本社ビル。なんと小田原だったんですね~。創業者は2年ほどで崩壊したプロレス団体SWS、あの天龍源一郎氏を中心にグレートカブキ氏、高野兄弟や、あーぁ北尾光司氏などなど所属していて一世を風靡した...って、ここにも「トウチンコウ」は扱ってないデース...ジャノメミシンも気になるなぁ、ちょっと検索すると...あ、もういいですネ~♪

コレダぁ~、そう「ういろう」なのだぁ~(^_-)-☆

なんか、凄くないですか、この外観! そう、名古屋のウイロウが製菓ではNO1で青柳総本店の支店がコノ小田原店なの・・・あ、じゃないネ~、お菓子ではなく、薬なのデス。「透頂香」は二代目からで場所は京都、なんと足利義満氏からの再三の招聘で移住となるのですが、創業者は博多から動かずに生涯を終えマス。その名は「陳宋敬」氏...公式ページでは現浙江省で1400年続いた公家と表現されているのですが...あの~、蒙古ですからネ、チンギスハーンで有名な中国は北の脅威、順宗皇帝とも出てマスが...それは唐じゃないのかナァ~...ま、もう一回検索...あ~、そういう事なのネ!!

 

要するに明から清に移行する際でもそうだったが、国を運営するシステムは変えようが無いという事で、少数民族が大民族を勢いで併合して実権を握るからなのだから。この場合では元から明への移行となるが、屈強な蒙古衆は花の都を動かす漢民族への憧れ、田舎から出てきた荒くれ者が都会カブレしていく様と同様で、段々と漢民族下していく。元は世継ぎ決めせずのお家騒動で国は乱れ...やがては衰退するのだ。その後、群雄は割拠し、それに乗じて国内では「俺が一番!」という輩が出てきて、江南は浙江省で独立勢力として内政を整えていた一大勢力の陳友諒氏が台頭し、大漢の皇帝と称するのだが政治体制も整えなくてはならず、その身内だったのが「ういろう」創始者だったワケだ。そして明建国の朱元璋氏との熾烈な覇権争いで敗れる...結果、一族徒労である創業者は明に留まれず、日本は博多へ亡命、帰化という流れなのデス。

★ 参考資料・・・名古屋の方がその歴史を書いてマース(^_-)-☆

  http://uiroexpo.xii.jp/memo/memo2-1.html

大医院礼部員外郎という三省(中書省、尚書省、門下省)六部から成り立ち、その尚書省の礼部(礼楽儀仗・教育・国家祭祀・宗教・外交・科挙)を管理する部所で郎中以上が、まぁ現代でいえば社員で、外郎はいうなれば契約社員みたいなモノかなぁ~。その人物が日本亡命で帰化出来るのは本人の実力と家柄にも関係しているのかも知れません。官名である「外郎」をあえて名前として福岡にて生涯を終えた陳延祐氏は、1368年に来日となるのデス。崇福寺において僧となり、医術や占術の専門家としてその名は響き渡り、時の三代将軍である足利義満氏より内地への再三の招聘を受けるもそれを良しとはせず、変わって息子の大年宗奇氏が京都へ赴任というか移住。朝廷の典医、外国信使の接待、禁裏や幕府の諸制度などの役職をこなし、故郷より「霊宝丹」を持ち帰り伝えたところ、コレが大変効能があるという事になり当時の天皇が冠に入れると「頂きを透して香る」という事で『頂透香』という名を頂戴したのが「ういろう」なのデース。そして菓子の「ういろう」はやはり二代目が外国の方々を接待する役目にあったので、その時に出して好評だった、とか薬が苦いので一緒に食べるとスッキリするという説がありますが、大年宗奇氏が考案したそうデース♪

女房殿は「ういろう」をお買い求めになりました...ハテ? 店内を見渡した所...前回来た時も1Fのディスプレイが「外郎博物館なのかナァ~」と思ってましたが...違うよネ~。無料なんだからこの建物内だよネ~・・・検索・・・あ、そういう事か!!

「すいません、外郎博物館見たいんですけど!」従業員にお気軽にお申し出下さいと公式ページにあったので、早速実践。「何名様ですか?」「二人デス!」・・・「少々お待ち下さい」...このパターンは結構待つのカナァ~、予約なしでフリーだし、結構入れ替わり立ち代わりお客様は入ってマス。シフト上の最優先は店内のお客様への対応となるハズ。てぇ~事は、見たい人を募ってある程度の人数が集まってからとか、団体の予定の時に一緒にとかなるよネ~、ってぇ~事は「お待たせしました、どうぞ!」...早い(^_-)-☆

薬局側の脇を通り抜け、ドアを開けると蔵がありました。「中は撮らないのでココだけ撮っていいですか?」「申し訳ございません、撮影の方は...」「了解しました!」


公式ページから拝借した蔵内の様子デス。2階もあって、しみじみと見させていただきました。所要時間は30分ほど...従業員の方が一人付き添いでした。大丈夫か平時のおぺーレーションは! 一人抜けると結構キツくなるのが現代ですからネ...あ、余計なお世話でした~という事で、「勉強になりました、ありがとうございました!!」と挨拶をして、ういろう本店を後にしました。

 

今、コレ書いてる時にも新発見アリで、だって「虎屋」とか出てくるし、京都からなぜ小田原とか、権力構造が変化しても外郎家は何故続く事が出来るのかとかイロイロ情報を集積出来ました、書籍の存在とかネ。中国料理との関わりは福岡→京都→小田原という流れと時代背景にカスル位でも、結構ありマス。面白い素材、もう少し勉強してから発表しマース!!

★ 公式「ういろう」・・・http://www.uirou.co.jp/uiro.html

 

白土さ~ン家の、日々

行き当たりばったりで、日常の事を好き勝手に綴りマース(^_-)-☆